結婚後の私の負い目・初めての産後と産後クライシス【7年専業主婦だった私がはたらく母になるまでの話②】

妊娠・出産・産後は、母になった「私」がもっと自分らしく健康で美しくなれるチャンス。
札幌の産後セルフケアインストラクター永野間かおりです。

連載しています、【7年専業主婦だった私がはたらく母になるまでの話】②専業主婦の私の負い目・初めての産後と産後クライシスです。

産後ケアを知って怒った私【7年専業主婦だった私がはたらく母になるまでの話①】はこちらから読めます。

 

私の育った環境とパートナーに求めるもの

私が生まれ育ったのは、岩手の小さな町で、町に信号機は3つほどしかない、のどかな町です。3人きょうだいの長女で、残念なことに勉強はそんなに出来なかったけれど、本を読むのと作文だけは、子どものころからずっと好きでした。今はこうしてインストラクターをしていますが、体育はいつも1か2で、走ってもいつもビリかビリから2番目、体を動かすことが大の苦手でした。

私が育った家庭環境は、祖父母との同居で旧い価値観が当たり前で、「稼いでいる方が偉い」「男は上、女は下」という雰囲気がありました。それが子どもながらに嫌でたまらなかった私は、「オレについてこい」とか、「守るから」「幸せにするから」は、そのまま上下関係にスルーっとスライドしていくんだ、だからそんな付き合いや結婚ならしない方がいい!!と真剣に思っていました(とても十代とは思えない、現実的で尖った考え・苦笑)。

大学のサークル活動が縁で知り合った夫は、ヒョロリと線が細くて、真面目なこともおもしろなことも対等にじっくり話せる人でした。あぁ、こんなにフェアで話せる人が本当にいるんだ・嘘みたいだなぁ…と、相手を深く知る中で驚いたのを覚えています。

 

就職の失敗

大学では幼児教育を学び、卒業後は夫との付き合いを続けながら、地元岩手に戻って幼稚園に勤務しました。

しかし、仕事や人間関係のストレスで、体調不良が続き、次第に笑えなくなってることに気づきました。ものをまともに考えられない、ありえないミスばかりする、眠れない、何を食べてもおいしくない。それが1ヶ月ほど続き、結局糸がプツンと切れたように、人と話すことも、外出することもできなくなりました。どんどん痩せて、体重は40キロを切りました。そして心療内科で「鬱状態」と診断。

通常なら考えもしないような偏って卑屈な思考にばかりとらわれて、一度考え出すと、まるで暗くて深い穴の中に吸い込まれてどんどん落ちていくような日々で、あの2年ほどは本当につらかったです。周囲の人たち、家族にも迷惑を掛けました。

でも、そのおかげで自分の生き方の癖にも気づいて、家族との関係性をベースに考え方や行動を学び直すこともできました。

「もっと親を頼ることを子どものころから経験して学べていたらよかったね。『助けて』『困った』が言えないのは、あなたの弱点なんですよ」というカウンセラーの先生の言葉は、今でもよく覚えています。そのことを、最初は認めたくなくて抵抗もして、でも結局、だいぶ時間を掛けながら受け入れていきました。それが就職でつまづいたあの2年間でした。

結婚に逃げた私、変化・成長し続けていく夫、私の後ろめたさ

この経験があってからずっと、「私はもうはたらくことはできないかも」と思ってっていました。また傷つくのが怖い、またきっと人に迷惑をかけてしまうと。

結果、私は結婚に逃げたんです。ずるい私は、結婚が逃げであることに気づきながらも、責めも問いただすこともせずに受け入れてくれた夫の優しさに甘えました。2003年の春。私は24歳で、なんの社会人経験もないまま結婚しました。 

 

当時、夫の仕事は中学校教員でした。結婚当初から、平日深夜まで仕事。週末も部活やその大会・遠征で、ほとんど不在。

縁もゆかりもない土地での新生活に、自分で選択したこととはいえ心細さは募るばかりで、スーパーのアルバイトをしたり、町の講座に通うなどして日中の時間を埋める努力もしました。でもそうすればするほど思い知らされるのが、毎日家事と趣味のみで時間を食いつぶして夫の帰りを待つのみで、他に何も生み出していない自分の生活。

それに対して、就職したてで、日々さまざまな経験を積み、悩みもがきながらも、たくさんの人たちと出会い支えられながら、視野を広げ、「一人のはたらく大人」として着実に自信をつけていく、夫。

夫は日々忙しそうで、帰宅後はぐったり疲れきっていました。そうして彼が頑張ってくれるおかげで、安心して生活ができている。感謝しているし、もちろん彼を最大限に支えたいとも思う。

でも同時に、私は言いようのない焦りと嫉妬を感じていました。彼には社会に居場所と役割があって、人に必要とされ、つながりもたくさんもっている。それはこれから歳を重ねるにつれて、ますます増えて強まっていくばかり。でも…、私は?

学生のころは、夫と対等にさまざまな話題について熱く話せたはずでした。就職したてのころも、仕事の相談をよくしてくれました。でも半年もすると、夫は自宅で仕事の話もほとんどしなくなっていました。私は彼から話し相手にも、アテにもされていない、そう感じました。

そして、「彼は、何もなくてつまらない私と結婚したことを、後悔しているんじゃないか?」と勝手に不安がって、怯えていました。夫に、「もしまだ結婚なんかしていなかったら、そうしたら…」と選ばなかった人生を想像されたとしたら…と、怖くてたまりませんでした。

今おもえば、第2子の産後に悩むことになる、「私はどうやって社会と・人とつながればいいのか?」、「このままはたらかなくていいのか?でも私、何ができる?」という葛藤は、すでに結婚当初から始まっていました。

夫が出勤して日中一人になると、いつもこのことばかり考えていました。学生時代からの友人からかかってくる長電話は、仕事や恋愛が中心の色とりどりな話題ばかり。「安定した日常生活」しかない私には相槌しか打てず、電話を切った後、「私には、何もない」と、いつも虚しかったです。

でも、「専業主婦でいること」は自分の選択です。それに、結婚する時に私は夫にこう言いました。
「きっとまた人に迷惑をかけてしまう、こんな私ははたらけない」
「だからあなたが仕事に打ち込めるよう、精一杯サポートしながら生活していく」
「申し訳ないけれど、今の私はまた鬱にならないよう気をつけながら、自分が生きていくことで精一杯。将来も、子どもを産むことはムリかも知れない」

自分でそう思って決めて行動したはずなのに、モヤモヤくすぶってること自体に恥ずかしさと引け目を感じて、このおもいは誰にも話せませんでした。仲の良かった友人、声をかけてくれた周りの人たち、もちろん夫にも。私は何の経験も行動する勇気もない分、プライドだけは高かったのです。

やっと踏み切れた妊娠出産・妊婦になった私の本音

そうやって自分の生き方を悩みつつも、鬱状態からもなんとか脱することができて、体調にも気持ちにも少し余裕が出てきた結婚3年目、夫と「子どもをもとう」と話し合いました。そして翌年、長男を出産。

妊娠・出産はおめでたいこととされるけれど、私の気持ちは複雑でした。

「これでやっと私にも『子どもを産んで育てる』っていう大義名分ができた」

もちろん、子どもが欲しい気持ちがあったからこそ妊娠に踏み切れたのですが、内心、専業主婦で子どももいない、それなのにはたらいてもいない自分への焦りも大きかったのです。

まったくの想定外だった「産後」

夫婦で話し合った末の妊娠・出産でしたが、産後は予想以上に大変でした。いえ、予想以上にというのは正しくない、妊娠中の私はこう思っていたのです。

「産みさえすれば、なんとかなる」
「夫とも今までよりずっと家族らしくなってしあわせになれる。夫も仕事より、家族との時間を大事にしてくれるはず。そうしたらもう私は寂しくない、もうあれこれ悩まなくてもいいはず」

正直なところ、痛くて辛いと聞く「出産」のことだけで頭がいっぱいで、産後の生活や夫婦関係がどうなるかなんて、想像しようともしませんでした。産んだらゴールぐらいの気持ちで、ただただ、産まれてくる子どもの存在に「希望」と「期待」を託して、少し先の「産後の生活」なんて、「赤ちゃんとの幸せな暮らし」以外に思いつきもしませんでした。

 

つらい授乳、産後の体の不調と心の落ち込み

実際は、出産以上に大変だったのは、出産直後から待ったなしで始まる子育ての一つ、「授乳」でした。

私はなかなか母乳が出ず、そのせいでお腹が満たされない長男は授乳を終えた30分後にはまた泣いて、結局1時間と空かず、1日中授乳が続きました。その生活が産後5ヶ月まで、毎日。寝られない・休めないで頭がおかしくなりそうでした。泣いている長男の隣で私も横になり、二人でワンワン声を出して泣き、泣き疲れた長男が寝てしまうこともありました。

また会陰切開の傷や痔の痛み、肩こりに頭痛と睡眠不足と、とにかく体に痛くない場所がないほど、あちこち痛かったんです。でも先に産んだ母親学級からの母仲間たちはみんな、「子ども産んだらそんなものでしょう?」とまったく意に介してないように見えました。

「こんなに体が痛いのは、私だけ?」
「お母さんになったら痛みも我慢して平気な振りしなくちゃいけないの?」
「みんなが当たり前にやり過ぎしてることさえ我慢できない私は、『母親失格』なのか…」

勇気を出して赤ちゃん連れで外出しても、周りの話を聞いて安心どころか不安しか感じず、外出もイヤになりました。

毎朝、起きた瞬間から、「今日もまた一日中抱っこと授乳の1日が始まる…」と落ち込んでいました。診断こそ受けていませんが、軽い鬱状態に近かったのかも知れません。

子どもを抱っこしながら、笑いかけながら、内心は、「この痛みとしんどさがいつまで続くんだろう」「私はどうなんるんだろう」と自分のことばかり考えていました。子育てを楽しみ味わう余裕なんて、一つもなかい、そんな自分に自己嫌悪ばかりしていました。

産後クライシスの始まり

でも、私のそんなしんどさ・体調のつらさに気づく様子もまったくなく(伝えていないので当然)、長男の誕生を無邪気に喜ぶ夫は、帰宅後は仕事でクタクタに疲れて、夜もぐっすり寝ていました。

ある晩、長男が泣いても寝ている夫に舌打ちして、私は壁をガンガン蹴りました。さすがに夫は慌てて起き出して、長男をあやしてくれました。

この時の私は、産後ケア教室でもお伝えする「家事や育児がどんなに大変か、どうやってダンナに思い知らせようか」とひたすら態度でアピールする「プンプンおばさん」状態でした。

夫に、「しんどいから手伝って」「起きて抱っこを変わって欲しい」と言葉にして伝えれば、きっと夫は応えてくれたはずです。でも当時の私は、「頼んだ後で、もし夫に嫌な顔をされたら…」と傷つくのがこわくて、言いたいことが言えませんでした。

その代わりに、「そもそも、あなたも親なんだから言われる前に気づいてやって欲しい。なんで一番大変なおもいをしている私が、頭を下げなくちゃいけないのか」と傲慢にもそう思っていました。

そうやってつまらないプライドがジャマして、夫も自分も信頼しきれず、頼る・委ねることが全くできなかったのが、長男産後の残念な私です。

 

夫と子育てへの苛立ちを持て余す日々

言いたいことが素直に言えない私は、夫に当たり散らしました。

深夜、1時間おきに授乳が続いた夜、「私の大変さなんて何もわからないくせに!家を出たら子どもから離れられるあなたはいいわよね!!」とキレて泣きながら怒鳴りまくったこともあります。夫の出張先に電話して、「大変だから今すぐ帰ってきて!」と泣き叫んだこともあります。この時、夫は車を飛ばして帰ってきてくれました。でも、私は泣くばかりで、ごめんもありがとうも言えませんでした。

あろうことか、そんな荒れた私の顔色をいつもうかがう夫のビクビクした素振りに、さらにイライラする始末でした。

今振り返っても産後の私は普通の精神状態ではなく、そんな衝動的で攻撃的な自分に戸惑い、自分を持て余していました。

「赤ちゃんが産まれてもっとしあわせになるはずだったのに、なぜ私はこんなにイライラしてるんだろう?おかしい、思っていた子育てと産後の夫婦関係とは全然違う。こんなはずではなかったのに…」と悶々とする日々。

母親学級からの母仲間にそんなことがないか?とたずねても、「でも、ダンナさんがいろいろ手伝ってくれているだけいいじゃん!ウチのダンナなんて何もしないよ!!」と、かえってグチを聞かされる始末。「私が知りたいのは、どうしたらいいかっていう解決策なのだけど…」と内心思っても、それを口にすることも出来ませんでした。

 

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