私がはたらく母になるまでの話。

子育てより悩んだ「母になった私」・夫の本音に愕然【7年専業主婦だった私がはたらく母になるまでの話③】

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連載しています、【7年専業主婦だった私がはたらく母になるまでの話】③「子育てより悩んだ「母になった私」のこと・夫の本音に愕然」です。

 

産後ケアを知って怒った私【7年専業主婦だった私がはたらく母になるまでの話①】

結婚後の私の負い目・初めての産後と産後クライシス【7年専業主婦だった私がはたらく母になるまでの話②】

 

●引っ越し・「自分のための時間」

産後の心身の不調と子育て・夫へのイライラを抱えていた2007年の春、夫の転勤で網走に引っ越しました。

 

    

長男も1歳半になり、毎日午前中は公園に通い、午後はお昼寝して、夕方は近所を散歩。起きている間はとにかく活発に動き回る長男(!)から片時も目の離せないほど忙しい、子育て一色の毎日でした。

転勤後の夫はますます帰宅が遅くなり、週末も相変わらず仕事で不在で、私のイライラ・さびしさは募り、子育ての抱え込みは続きました。

 

あの時、ただ夫に、「しんどい」「つらい」「さびしい」と、ただただ弱音を吐けたらよかった。夫の働き方が急に変わることはなくとも、弱音を吐き出せて、聞いてもらえていたら、きっと何かが違ったはず。

 

当時を振り返り、今はそう思います。

 

●産後初めての運動

そんな時、子育て広場で知り合った母仲間に誘われて、「子連れで行けるなら…」と、近所のエアロビクスサークルに参加しました。

 

子どもを傍らで遊ばせながら、自分のためのリフレッシュする週にたった1時間でも、私には必要でした。

 


久しぶりに運動して汗をかいたことで、おもしろいように気持ちがすっきりしました。

帰宅後もイライラせずにしばらく機嫌よくいられて、「体を動かすことでこんなにも気持ちが変わるんだ」と驚きました。

 

●夫婦で相談しての第2子妊娠

長男が1歳を過ぎるころ、母親学級からの仲間が続々と第2子を妊娠・出産しだしました。

 

今振り返ると私ホント浅はか…、ですが、「うちは子どもまだ1人…」と妙に焦ったのを覚えています。

 

実際は、産後・子育ての大変さに2人目なんか考えられる訳もなく、そもそもがコミュニケーション不足な私たち夫婦だったのに。「私は・自分たち夫婦はこうしたい」という意志も希望も考えようともしなかったから、周囲をムダに羨ましがり焦ったのだとおもいます。

 

 

私がその焦りや不安を夫に伝えると、「おそらくもう時期、わが家は転勤。そんな大変な時期に妊娠出産が重なれば、
何よりあなたがしんどいはず。よそはよそ、うちはうち。焦らずに、引っ越し後にあらためて考えようよ^^」
と、焦りをなだめてくれました。

 

夫は冷静でした。こうしてきちんと言葉で伝えれば、誠意をもって返してくれる。邪険にしたり、否定するような人じゃないんだと、この時とてもうれしかったのを覚えています。

 

転勤後、生活も落ち着いたところで夫婦で相談し、第2子を妊娠しました。

初めての産後に激しい後悔があったので、「今回はどんな妊娠・出産・産後にしたいか?」と、いちばん気がかりだった「お兄ちゃんになる長男のケア」を夫婦で協力していきたいこと、そのためには何が必要か?を何度も話し合いました。

 

そもそも妊娠前に、「2人目の子どもをどうする?」と夫婦で話す機会があったから、産後についても話がしやすかったんです。

 

●夫の子育て

2人目の妊娠中、ちょうど2歳になったばかりの長男は、イヤイヤ期まっただ中でした。

私もつわりで体調不良の状態も続き、週末は夫が長男と2人で過ごすようになりました。2人目の産後も見据えて、少しずつ練習をというつもりもありました。

この当時、印象的だったのが、夫が子育てを担う時間が増えただけでなく、「子育てのままならなさ」にそのまま共感してくれたことです。

 

夫はよく、「いや〜2歳児ってホント難しいわ…」「〇〇はもちろん、かわいい。でも、イヤイヤが続くとこっちもイライラするし、感情的に怒っちゃうんだよなぁ、はぁーーー(と落ち込む)」

 

…なんだ、私と同じじゃないか・笑。

 

もちろんそれまでも、夫がオムツ替えや抱っこや家事を自分から率先してやってくれることも、嬉しかったんです。

 

でもそれ以上に、「子どもは可愛いけれど、子育ては本当に大変だよね」「子どもに怒った後は、自己嫌悪を感じちゃうね」と、子育ての地味で不安で孤独を感じやすい負の感情や反省をジャッジせず、ただ一緒にため息をついたり苦笑いして共有できたことにものすごく救われました。

 

同時に、それまでは、「夫と長男の2人だけにしたらものすごく泣くのでは?困るのでは?」と私が不安で心配だから、父子の時間をつくらないようにして、子育ての導入期に、夫が子ども・子育てに慣れる貴重なチャンスを奪ってしまっていたことに気づきました。

 

それに気づかせてくれたのも、「産後は人を信頼して委ねる時期」と書いてあったマドレボニータの産後ケアの本でした

 

●はじめての保育利用は私の自尊心回復の第一歩

「子どもと一緒にいるだけが愛情ではなく、子どもには子どもらしく、のびのび過ごせる環境を用意するのも親の愛情であり役割」

の産後ケアの本の一節に背中を押され、2人目の出産前後に長男を4ヶ月間、近所の保育園に通わせることにしました。

 

それまでは、「専業主婦なんだから子どもといつも一緒にいるのは当然。託児や保育を利用するなんてそんなこと、稼いでもいない私にはできない」と思い込んでいました。

 

でもそうやって子育てを抱え込むことで、私はつねにイライラしっ放し。イライラする私の顔色を伺う長男が、明らかに不安定になることもありました。「母と子どもはつねに一緒」という思い込みは、私たち親子を苦しめるだけでした。

 

だから長男がおもう存分あそべる保育を利用する、それが今、家族に必要だから胸を張って頼るのは、大きな変化であり大事なことでした。

 

 

また、そうやって子どもを預けてまで、産褥期の養生と産後の心身を健康に保つことを最優先にするのは、私の自尊心回復の第一歩でした。

 

それまで、「子どものために」「家族のために」だが当たり前だった私は、自分をいつも後回しにして、結果、自分がどうしたいかもわからなくなり、しなくていい我慢を続けて溜め込んでは家族に対して苛立ちを爆発させるだけでなく、「どうせ私なんて」「子育て中だし/専業主婦だし」と言い訳する卑屈な姿勢でした。

 

そして、「大丈夫」「私はいいから」「まずはあなたが」ばかり言って自分を後回しにすることで、夫に「妻は大丈夫」と思わせてしまっていました。

だから、不満と怒りを溜めに溜めて、どうしようもなくなってから爆発させてからやっと、「そこまでしんどかったの?」「だったら早く言ってくれればよかったのに…」と、夫を戸惑わせてしまっていました。

本当は大丈夫なんかじゃない、しんどいし苦しいこともあると、言葉で言わなければ何も伝わらないのに、「察してくれない夫が悪い」と一方的に決めつけていました。


もうそれは終わりにしたいから、「子ども・家族」のことと同時に「私」を主語に考えて、まず自分が心地よく機嫌よくいられる方法を考えたり選ぶことにしました。

 

●子育て以上に悩んだ「子育てする私自身」のこと

当時私は、ママ友同士で繰り返される「子育て中心の話」があまり楽しめませんでした。

だから引っ越してからは、「ムリして母仲間とつるまなくていい」と決めていろんな場所で、気の合う人に会えたらいい、と自分の心地よさを優先するようになりました。

でも、日中子どもと2人だけで過ごしていると、当然ながら「大人」と話したくなるので、毎日のように息子たちを連れて、地域の子育て支援センターに通っていました。


それは「子どもを遊ばせるため」と、もう一つの理由は、自分が正気を保っているため。

大人と子育てや世間話でもいいから話すことで、その場は気持ちがほぐれたり、リフレッシュできました。


また、ずっとウチにいてイライラしていたら、いつか子どもに手を上げてしまうかも知れない…という不安もありました。

子育てしながら、子どものありのままや欲求を受け止め切れない「自分の未熟さ」に向き合わされるような場面もよくあります。

それに反応して、その苛立ちを一番身近で小さな子どもに向けてしまって虐待につながることもあるののかも知れない…。

この時期、TVで幼児虐待のニュースを見るたびに痛ましさを感じるだけでなく、「私だって絶対虐待しないとは言い切れないんだよな、だって毎日を子どもと過ごす親だから」とおもいました。

 

 

子育て支援センターで知り合う育休中で仕事復帰予定がある方は、「復帰して子どもが熱を出さないか?そうしたら仕事で迷惑をかけるんじゃないか不安…」「家事育児の両立なんて、私にできるのかな…?」とよく話していました。


そんな話を聞くたびに、仕事復帰する彼女たちには社会に居場所があり、社会/人から求められている。対して私には、子育て以外に「自分の未来の展望」が何もないと心がざわつきました。

 

なんとか人とつながりたいと子育て支援センターに出かけても、帰宅して感じるのは、言いようのない虚しさと苛立ち、不甲斐なさでした。


子育て支援センターは「育児のための」「母親と子どものための」の場所なんです。「母親になった大人」のための場所ではなかったんです。

 

●夫の本音に愕然!シェアリングで初めて知った夫のおもい

そんな風に、二男が生まれてからも相変わらず悩んでいた、2009年の秋。

産後ケアの本に載っていたコミュニケーションのワーク(産後ケア教室で行う対話・シェアリング)を、夫婦でやってみて、気づいたことがありました。

 

それは、「私は今まで『夫の話』をまったく聞いてこなかった」ということ。

「人生」「仕事」「パートナーシップ(夫婦関係)」の3つのうちから、「仕事」をテーマに選んだ夫は、3分間じっくりと、仕事への熱意を話してくれました。

 

それを聞いて、夫が毎週末休みなく、各地の研修に通うのは、自分のスキルアップだけでなく、地域の役に立ちたいからだったんだ…と初めて知りました。

 

何年も一緒に暮らしながら、そんな大切なことも知らず、いつも夫の週末の不在を責めていたことが、恥ずかしく思えました。

そして不思議なことに、「そんなに熱意があるのなら、彼の活動をこれからはできるだけ笑顔で応援しよう」そう心から思えたのです。

 

「相手の状況やおもいを知ると、自然に思いやりが生まれる」というコミュニケーションの効果を実感したエピソードでした。

夫のおもいを知らなかった、私の不安も全然伝えられていなかった。

だから産後クライシス(夫婦不和)をこじらせて、何年もお互いに苦しいおもいをしてしまった。

それまでの産後3年は、そういうことでした。

 

次回、「専業主婦から産後セルフケアインストラクターをめざす【連載④】」に続きます。

  • この記事を書いた人

永野間かおり

認定NPO法人マドレボニータ産後セルフケアインストラクター。「産後のピンチを『チャンス』に変える」を軸に、産後ケア札幌教室と、産後セルフケアオンライン教室(全国)を開催。自治体/保健師・助産師など専門家向け講座の講師も務め、述べ受講者数は2,800名を超える。札幌在住、1978年生まれ、小中高生3男子の母。

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