私がはたらく母になるまでの話。

産後セルフケアインストラクターをめざす【7年専業主婦だった私がはたらく母になるまでの話】④

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連載しています、【7年専業主婦だった私がはたらく母になるまでの話】④を書きます。

産後ケアを知って怒った私【連載①】

結婚後の私の負い目・初めての産後と産後クライシス【連載②】

子育てより悩んだ「母になった私のこと」【連載③】

 

夫には夢がある、じゃあ私は…一体何がしたい? 

産後ケアを知ってから毎日のように読み込んでいたマドレボニータ公式ブログと、全国のインストラクターの先生たちのブログ。

 

「子どものために」「家族のために」と自分以外を主語にして生きてきた私は、マドレボニータの発信からこんなメッセージを読み取っていました。

 

「今の状態は、これまでの自分の選択の結果」「どうしていくか?は、自分で選べる」

 

そのメッセージに勇気付けられる反面、ざわざわした不安も湧き上が理ました。

夫の成長に嫉妬し、はたらいている学生時代の友人との話も噛み合ず、 かといってママ友の子育て中心の話にも満足できない、今の私。

 

誰ともおもいをわかち合えず、社会との接点もない自分は、 本当は何がしたいんだろう? これからどうやって人とつながっていったらいいんだろう?と。

 

網走で産後ケアを受けたい!産後セルフケア体験会を企画

そんな2009年秋、当時道内で活動されていたインストラクターのブログに「出張体験会」の文字を見つけ、断られてもダメもとで!と出張講座の依頼メールを送り、開催を引き受けていただきました。

 

この時、私が勇気を出して行動できたのは、シェアリングで夫の仕事への熱意を聞いていたこと(子育てより悩んだ「母になった私のこと」【連載③】)。

 

…もう一つ、正直に言えば、「夫に負けたくない!」という負けず嫌いな気持ちもありました・笑。

 

一生懸命打ち込めるものがある夫がすごく羨ましくて、私もそんな大切なものを見つけたい、チャレンジしたいと思えました。

 

3人目の子どもをどうするか?問題

 

当時、私はもう一人子どもを産むことを なんとなく希望していましたが、実際に夫婦で話し合うと、夫は、「ごめん、3人目は考えられない…」と言われたのでした。理由もしっかり話してくれたけれど、うーん、複雑なおもいがしました・苦笑。

 

でもこの時、夫に「3人目の子どもは望んでいない…」とはっきり言われて、今振り返ってみると、ほんとうによかったんです。

そうでなければ、私は「自分の今後の人生」を考えるのを先送りして、何となく妊娠・出産したかも知れません。

夫の合意が得られなかったからあらためて、「なぜ私はもう一人子どもを産みたいのか?」を考えました。

 

そして、出産・子育てを意志や希望ではなく、 自分の「存在意義」にしていることがわかりました。

 

子育て以外に自分の役割がなく、「〇〇くんのお母さん」「永野間先生の奥さん」と夫と子どもに立場・役割を与えられて、地域・人とつながる私。

 

そんな自分に気づいてしまったのなら、 もうこれ以上見て見ぬ振りはできない。これから「私」はどんな人生にしていきたいか?を考えよう、そのために産後ケアに参加しよう、そう思いました。

その後、子育て支援センターを中心に産後ケアをアピールしながら集客活動しました。

 

そこで、「実は私も産後大変だった」という母たちにたくさん出会い、やっぱり産後ケアは誰にとっても必要なんだ!と 勇気づけられました。

 

また社会福祉協議会への助成事業の問い合わせや、市民活動センターで託児協力依頼のプレゼンをするなどの準備は大変というより、むしろおもしろくてたまりませんでした。

 

関係機関に相談して話を聞くことで、行政から与えられるたくさんの子育てサポートのおかげで、普段安心して地域で子育てできているのだということも、 初めて知りました。

 

子育て中の母親として「サービスの受け手」でばかりいた私の基準は、「無料かどうか?」。自治体のイベントは無料だし、 ママ向けのものはワンコインが当たり前でした。

 

でも、無料ということはその分、税金や助成金、 ボランティアの協力やサポート、もしくは主催者の持ち出しで賄われているということなんですよね。

 

恥ずかしながら、そんなことはそれまで一切考えたこともありませんでした。

 

それは「子どもと私」だけの狭い世界で、「とにかくお金をかけない・損しないように」 の意識で生活していたからです。

 

そんな産後ケア体験会の準備は、一人でやりました。子育てサークルもママ友もどこにも属さない私は、ちょっと独特の人だったから^^;

 

でも、自分が本当にやりたい!とおもうことをしているから、「人にどう思われるか?どう言われるか?」は全く気になりませんでした。

何やっても、良く言う人と同じぐらい、悪く言う人もいるんだし、 「とにかく網走で産後ケア体験会を開催するんだ!」 シンプルにその気持ちだけで行動していました。

 

そんな風に、準備に奔走していると「〇〇さんも産後ケアに興味があるって!」 「そういえば、〇〇ちゃんママも2人目生まれたよね?誘おうか?」と、周りの親切な人たちがご縁をつないで、 口コミをしてくれて本当にありがたかったです。

 

そうやって、子どもの昼寝時間や就寝後に準備しながら、自分が本当に心魅かれることに取り組めば、 こんなに充実した気持ちで生活できるんだ! と楽しくてたまりませんでした。

 

網走で初めて開催した産後クラス体験会には、市内の13名の母たちが参加してくれました。

 

ママ友にもグループにも馴染めない私が、一人ひとりに「一緒に産後ケア受けてみない?」と声をかけて、そこからまた別の友人を誘ったり興味や期待をもって集まってくれた人たちでした。

 

印象的だったのは参加者の方たちがGOOD&NEWのワークで見せてくれた「○○ちゃんのお母さん」なママの顔ではない、「○○さん」一個人の、素のゆたかな表情。

 

子育て支援センターで交わす「子育ての話」ではなく、「自分の話」をする母たちの表情は実に魅力と人間味にあふれていて、みんなこんなにおもしろい人たちだったんだ!と知って興奮しました。

 

産後ケアニューズレターを発行

体験会が終了してホッとしつつ、今度は 「体験会に参加できなかった人にも産後ケアのことを知ってほしい!」と、体験会当日の夜に、衝動的に手書きの産後ケアニューズレターを発行しました。

「やる!」と決めた私は、まっしぐら。メチャクチャ行動が早いのは、今と変わりません・笑。

自宅のプリンターで印刷して、翌日には子育て支援センターで配布。その後、毎月産後ケアニューズレターを発行し続けました。最初は誰も読んでくれなくて、ニューズレターは余りました。だって、ちょっとあやしいでしょう?・笑。

 

でもその時も、全く落ち込まなかったんです。知らないことにいきなり興味なんて持てなくて当然、産後ケアをまずは「知ってもらうため」に書いたんだから、これを続けたらいいだけだと。

 

すると、ニューズレターを読んでくれる人が徐々に増えていきました。子育て支援センターの保育士の先生も読んでくださり、「お母さん、いいね!」と、在庫切れするとセンターで バックナンバーを印刷してたくさんの母たちに配布してくださいました。

それまでの数年間、モヤモヤして二の足ばかり踏んでいた私が、産後ケア体験会のおかげで 次からつぎへと動き始めました。私を突き動かしたのは、自分の経験やおもい以上に、周りの母たちの産後ケアによる劇的な表情の変化でした。

 

産後セルフケアインストラクターになりたい?
考えるための産後ケア教室受講

産後ケア体験会を終えて日常生活に戻ると物足りず、体験会準備の2カ月間、参加お誘いや協力お願いでいろんな人たちに会って産後ケアのことを伝えていた時間が、どれだけ充実していたかを実感しました。

 

産後ケアをもっと広めたい、でもどうすれば?また体験会を開く?でも、それでは継続性がない。

 

それよりも、自分が認定インストラクターになれば産後プログラムへの理解と責任をもって、より多くの人たちに産後ケアを直接伝えられるんじゃないか? 何よりこんなにも心魅かれてやまない産後ケアをもっと深く知りたい!

 

そんなおもいで2009年冬、 中標津産後ケア教室(※現在は閉鎖)を受講しました。

 

「今すぐ産後ケア教室に通わないと、インストラクター養成コースの受験に間に合わない。ちゃんと取り組んでからどうするかを決めないと!」

と必死でした。

 

●自分のおもいを確かめたい!東京で指導法集中講座受講

産後ケア教室受講後に、興味はますます増し、翌年3月には東京で、 産後プログラム指導法集中講座2DAYSも受講しました。

事前に、1月にはオンラインDVD受講。インストラクターにはダンススキルも必要と知るや地元で教室を探して、夜のダンスレッスンにも通いました。

 

私がそうやって学ぶ時間、1,4歳の子どもたちは市の一時保育に預けていました。当時31歳の私のチャレンジはその時しかできずその後の生活も左右する大切なことだったから。

インストラクター志望者が大勢参加する東京の集中講座で、ほんの少しでも「私にはムリかも…」と怯むなら、養成コース受験はやめようと決めていました。

 

先生方や養成コース生のブログを穴があくほど読み込んで わかったのは、仕事や人生への本気度の高さ。少しでも迷いがあるのなら、マドレボニータにも、インストラクター養成コースをめざす人たちにも失礼だと思いました。

 

「31歳なんて、これからなんでもできるでしょ!」と背中を押してくれた人

網走の産後ケア体験会に参加してくれたのををきっかけに「お互いの話」をするようになった母仲間にも相談しました。

 

相談した彼女は30歳で言語聴覚士をめざして学校に通って転職した、めずらしい経歴の持ち主。自分で人生を切り拓く魅力的な人でした。

 

そんな彼女の、「永野間さん、31歳?31なんて、これからなんでもできるじゃないの!」 ということばに、31歳の自分の人生はまだまだこの先が長い、だから今がんばったって遅くはないんだと、励まされました。

 

もし、今チャレンジしなければ、失敗もない代わりに変化もなく、子育てと家族が中心で、夫の転勤についていく人生が続く。

31歳で子育てしながら「新しい職業」を得ようとするこの貴重な機会を逃してしまったら、この先の人生で今以上に、「母になった自分自身のこと」で、胸躍るような出来事はないかも知れない。

「私、何がしたい?」とずっと探してきて、やっと見つけたものにチャレンジしないでいいのか?もしうまくいかなかったとしても、何のキャリアも立場も経験もない私には、失うものが何もないじゃないか。最初の就職のように、他人に迷惑を掛けて、何もやらないまま逃げ出して後悔はしたくない!もしダメでも、あの時私は 「はたらくこと」に向けて挑戦したんだ!と自分が納得できるようでありたい。

 

そしてやっと産後セルフケアインストラクター養成コース受験を決意しました。産後ケアを知ってから2年、産後ケア教室に参加して4ヶ月後のことでした。

 

次回、「はたらくことに反対した夫・発熱を繰り返す子ども・母になって学ぶ厳しさ【連載⑤】」に続きます。

 

 

  • この記事を書いた人

永野間かおり

認定NPO法人マドレボニータ産後セルフケアインストラクター。「産後のピンチを『チャンス』に変える」を軸に、産後ケア札幌教室と、産後セルフケアオンライン教室(全国)を開催。自治体/保健師・助産師など専門家向け講座の講師も務め、述べ受講者数は2,800名を超える。札幌在住、1978年生まれ、小中高生3男子の母。

-私がはたらく母になるまでの話。

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