マドレボニータ札幌の産後セルフケアインストラクター
永野間(ながのま)かおりです。
私は転勤族の夫とともに3人の息子を育てながら、
2011年から認定NPO法人マドレボニータの
産後セルフケアインストラクターを職業にしています。
産後ケア教室教室や講座でよく、
「そんなに長い間専業主婦をしていて、 そこからどうやって
個人事業主のインストラクターになったんですか?」
「なぜ産後ケアを仕事にしたんですか?」
「どうやって全道各地ではたらく仕組みを作ったんですか?」
と聞かれます。
そこで、私が子育てしながらはたらくまでの話をここに書きます。
ちょっと長い自己紹介と、産後ケアを伝える私が、
どんな産後を経験して、産後ケアを仕事にしているかをまとめます。
産後ケアを知って怒った私
「やっぱりちゃんとあったじゃない(怒)!」
2007年の冬、二男妊娠中の大きなお腹を抱えた私は怒っていました。
手には『母になった女性のための産後のボディケア&エクササイズ』(吉岡マコ著)。
後半の「産後の心の健康」についてのこの記述に、愕然としました。
以下、ちょっと長いですが引用しますね。
「〇〇ちゃんのママ」としてしか存在せず、当たり障りのない話しかせず、
自分が本当に感じていることを言葉にしないでいるうちに、
本当に感じていることがどんどんぼやけていき、
自分の実感がなくなっていき、人の話も聞けなくなる。
そんな大人を見て育つ子どもは 未来にどんな希望が持てるでしょうか。
脳が鈍化することで、やる気や創造性が失われ、
ウツの症状も悪化しやすくなり、人間関係もこじれやすくなる。
そんな生活をしていても「子育てが一段落するまでは」と
言い訳すれば誰にも文句は言われないというところがまた恐ろしい。
自分の生き方を問うことさえ、何十年も保留にしてしまう。
それが日本の子育ての現実ではないでしょうか。(引用ここまで)
「出産や赤ちゃんの世話については手取り足取り教えてくれるのに、
なぜこの「産後の母親について」を誰も教えてくれなかったの?
なんで私、もっと早くにこの情報にたどり着けなかったんだろう??」
そう悔しさに打ち震えました。
「ここに書かれているのは、まさに今の私自身のことだ」
怒りがおさまると、そう認めざるを得なくなりました。
「〇〇くんママ」としか呼ばれない、名前で呼ばれることもない。
自分を主語に本音で話さない・話せない。
自分をすっかり置いてけぼりにして暮らしてしまっていた。
そうか、だから私は赤ちゃんが生まれて、
子育てしながらも苦しくてたまらなかったんだ。
そんな風に長男の産後2年近くも(!)、
私は「産後のプンプンおばさん状態」に切実に悩んでいました。
「赤ちゃんは可愛い、でも体はしんどい。
子 育ては何一つ思うようにはいかない。
それなのに、子どもが生まれても何も変わらず 自分優先(に見えた)
夫にイライラして仕方ない。
なぜ私ばかりがこんな目に遭わなければいけないんだろう?
周りはみんな子育てを楽しんでいるように見えるのに、なぜ?
そうおもう私が悪いの?おかしいの?」と。
振り返るだに本当に残念な記憶ですが、これが私と産後ケアの出会いでした。
次回、結婚後の私の負い目・初めての産後と産後クライシス【連載②】に続きます。