私がはたらく母になるまでの話。

産後ケアを職業に・はたらく母になるのに一番向き合い変化したのは夫婦関係【7年専業主婦だった私がはたらく母になるまでの話】⑥最終回

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マドレボニータ産後セルフケアインストラクター永野間かおりです。

【7年専業主婦だった私がはたらく母になるまでの話】⑥最終回を書きます。

 

産後ケアを知って怒った私【連載①】

結婚後の私の負い目・初めての産後と産後クライシス【連載②】

子育てより悩んだ「母になった私のこと」【連載③】

専業主婦から産後セルフケアインストラクターをめざす【連載④】

はたらくことに反対した夫・発熱を繰り返す子ども【連載⑤】

 

●2011年、念願の産後ケア教室@網走@北見を
新規開講!産後ケアを職業に●

 

「インストラクターとなって、産後ケアの旗振り役になろう!」と 決意してからおよそ1年。

網走市と北見市で NPO法人マドレボニータの産後ケア教室 を 新規開講しました。

(開講の'11年網走2月コース)

「産後ケアは母になった全ての女性に必要!がんばって!!」

インストラクター養成コース中から応援してくださったみなさんや、
産後ケア教室の参加者のみなさん。

「私の街でも産後ケアを!」と出張講座を企画してくれた母たち。

そして産後ケア講座を企画される オホーツク管内の自治体担当職員さん。

いろんな方たちが産後ケアに期待を寄せて、
参加・参画とさまざまなアクションで応援・伴走してくださいました。

そのつながりや関係性は、 私が産後ケアを通じて実現したい社会や未来、
本音を、 「自分のことば」でうるさいぐらい繰り返し発信して つくってきたものでした。

こうして人とつながることができたのも 「言葉で表現し、日々発信し続けること」を、
マドレボニータインストラクター養成コースで叩き込まれたおかげです。

クリック 当時のブログ「動くハハ通信」養成コースカテゴリ

 

産後ケアに共感し参加・応援てくれる人たちが増えていく反面、

「そんな仕事で食っていけるの?」

「ベビマやヨガの資格もとって仕事を増やせば?」

「ダンナさんがしっかり稼いでくれているから、 だからできる仕事だよね~」、

そんなことも、何度も言われました。

 

そう言われて悔しくふがいないおもいをする度に、 こう自分に問いました。

 

「私が産後ケアの仕事を通じて実現したいことって、何だろう?」

 

そして、

「私がしたいのは、母親を『〇〇ちゃんママ』なんて子ども扱いせず、
『一人の大人の女性』として尊重して期待する自立支援。

子ども・家族を理由に自分を諦めず、 体力とコミュニケーション力をつけて、
自分がこうしたい・ありたいと望むはたらき方や、
夫婦関係を実現するきっかけをとなる『場づくり』がしたい。」

そう、どんどん自分のやりたいこと・軸がはっきりしてきました。

地域で他にまだ誰もやっていない。

産後ケアの不足が社会問題とも捉えられていないどころか、
産後ケアの存在さえ知られていない。

ニッチなことだからこそ、私がやる。

軸ができると、何を言われても人がどうあっても揺らぐことなく、
自分の仕事に粛々と取り組めました。

 

それが、仕事を始めて3年経ったころでした。
私はもっと自由にやっていこう、それができるから、と。

産後ケアで「母になった私」に向き合えば、
もっとおもしろくて納得した「母になった自分の人生」をデザインできる。

私はそう信じていて、だから産後ケアを職業にしています。

 

 

●一から仕事を創る、そのために私がしたこと●

教室を開催しながら、一つずつ仕事を創っていきました。

「産後ケア教えられます!」と言ってただ待っていても、
当然ですけど仕事は来ません^^;

 

それがすべての行動も責任も自分次第のフリーランスの仕事。

 

教室を開催して最初にぶつかる壁が、集客。

 

産後ケア教室は「受講料が高い」と敬遠され、
「託児付きなら行けるのに」とも言われる。

ならば、自治体の子育て支援や母子保健の講座に
「産後ケア」を取り入れてもらおう。

個人で直接教室・講座に脚を運んでもらうだけでなく、
自治体母子保健・子育て支援講座に 「産後ケア」を提案・採択してもらえば、
誰でも産後ケアに参加しやすい新しい仕組みをつくることができる。

出産⇨子育ての隙間の「産後ケアの不足」に気づいた私から、
今ここで出来る取り組みを始めたらいい。

そうすれば、託児もあり、公費・無料で、
母親が産後ケアにもっと取り組みやすくなる。

自治体講座に食い込むことで、産後女性に一番身近な存在の、
保健師さん・保育士さんにも、産後ケアの必要性を知ってもらえる。

今よりもっと当たり前に産後ケアが受けられる地域・社会に、
確実に一歩近づくことができる。

その一歩がどんなに小さいものでも、あるのとないのでは、全く違う。

 

そう考えて、自治体に直接アポをとったり、
いろんな人たちに担当者をご紹介いただいて、
産後ケア講座の企画書を持ち込んで、あちこちでプレゼン営業をしました。

そんなアクションがその後いくつもの自治体産後ケア講座につながって、
「毎月、自治体産後ケア講座を開催する」という事業当初の目標を、
オホーツクに暮らした最後の年になる2015年に、 ほぼ達成することができました。

2013年度からは津別町で毎年、 2015年度からは釧路郡厚岸町で
年間3回の 継続した産後ケア講座事業を実施しています。

 

 

●2013年、産後ケアの仕事をしながらの妊娠・出産・仕事復帰●

産後ケアの仕事を始めて2年目の2012年、夫婦で話し合い、妊娠。

残念ながら一度流産も経験しましたが、その後再び妊娠。
翌年2013年春に三男を出産しました。

クリック '13年4月の三男産後の日記はこちらから読めます。 私の産後のもがきが満載!

 

3度目の出産・初めてはたらきながらの産後で、
育休中の葛藤や仕事復帰への不安も感じました。

産後ケア教室参加者のみんなから湧き上がる言葉の意味を、
身を以て知るような経験でした。

 

それも、産後ケア教室や北海道での
NECワーキングマザーサロンの活動にも ダイレクトにつながっています。

 

●2014年、オホーツクを飛び出して産後ケアを広める●

facebookやブログ、産後ケア新聞を発行する日々の発信で、
産後ケアとそれを広める私を知ってもらう完全なる自作自演(!)を 続けていると、
オホーツク以外の地域からも 産後ケア出張講座をリクエストいただくようになりました。

('14年10月札幌産後ケア講座)

そして各地の出張講座でできたつながりが、
その後 登別、根室、十勝、札幌、釧路などの出張講座にも結びつきました。

2011年に産後ケア事業を開始してからの5年で、
私のはたらく場所はオホーツクから「北海道全域」に広がりました。

毎日北海道地図を眺めて、産後ケアを届けた町にマーカーをひき、
「産後ケアを遠くまで広める!」と、
戦国武将のように(!)腕組みしては考えていました。

夫にはそんな私がかなり凛々しく見えたそうです・笑。

 

 

また、「いつか産院でも産後ケアを伝えたい」と発信して、
学びとつながりを広めていったら、
2015年12月から北見市中村記念愛成病院での
「産院産後ケアクラス」開講が決まりました。(※転居により現在閉鎖)

 

一人でやることなんて、たかが知れている。

人と一緒にやるからこそ生み出せる新しい価値がある。

 

それを産後ケアの仕事と、
そこで出会うたくさんの魅力的な人たちから教えてもらいました。

そして小さくまとまらず、自己完結してしまわないよう、
全国からおもしろくて魅力的な人たちが集まる
NPO法人マドレボニーの一員として、活動しています。

 

●2016年家族で札幌に移住・《札幌》産後ケア教室新規開講●

過去ブログで書いていたのは↑ここまで。 ここからは2016年からの出来事です。

2013年に三男が生まれたころ、夫の仕事の取り組みが変化して、
その後キャリアチェンジを希望していることを話してくれました。

当時の夫と三男の写真^^↓

「自分が望む仕事に取り組める幸せ」は、私自身も知っています。

だから、はたらく環境や条件の変化やリスクが…の不安より、
夫の希望を尊重し応援したかったし、
私もがんばってはたらく!の気持ちが強かったです。

結果、夫の希望が叶い、2016年春に家族で江別に転勤・引っ越し。

 

夫は新しいことに取り組む際は、いつも必ず相談してくれました。

 

そんなコミュニケーションと関係性は、
「こんな夫婦・家族でありたい」とお互いが希望して、
地道に創り上げてきたもの。

 

こうして新たなことにチャレンジする際、
夫婦間で対等にコミュニケーションできるかどうか?が
何よりの強みでリスクヘッジだなと思います。

 

そして札幌に移住後の2016年6月から、
中央区で《札幌》産後ケア教室を新規開講しました。

 

「いつか札幌で産後ケア教室が開催できたらいいなぁ」
そうふんわり願っていたことが実現しました。

 

今度はここで、産後ケアの仕事をがんばっていく!

 

ありがたいことに、オホーツクを離れてからも
北見をはじめ道東の産後ケアの仕事の依頼も継続していただけて、
毎月のように出張講座もさせていただいています。

(2016年厚岸町母子保健事業産前・産後ケア講座、この時はご夫婦の参加も!)

また、産後ケア教室@北見@網走の卒業生が中心になり
市民活動団体 「マドレ・オホーツク」を立ち上げて、
オホーツクで産後ケアに取り組めるようにとがんばってくれています。

産後ケアを知った自治体職員さんや、 産後ケアに取り組んだ母たちが、
次の母が産後ケアに取り組めるよう、 自分のもつ力を存分に発揮して、
楽しみながら産後ケアを広めるアクションを起こしてくれています。

これぞ、母になった女性の力が社会に開かれ、
エネルギーが循環していっている一つの形。

 

●2017年、医療的ケア児の母たちへ産後ケア、
産後ケア教室《旭川》《苫小牧》を新規開講、
産後ケア夫婦講座

2016年の冬には札幌に移り住み、 それまで出会えなかった人たちとの
新たなつながりが生まれています。

その一つが、医療的ケア児を育てる母たちが中心のNPO法人ソルウェイズ

 

NPO法人ソルウェイズ企画のセミナーに参加したのがきっかけで、
胃ろうや痰の吸引、経管栄養などの
医療的ケアが必要なお子さんを育てる母たちを対象に
2017年2月に産後ケア講座を開催しました。

産後、自身の養生も十分にできないまま、
お子さんの病気や障がいのためにケアが始まり、
自分のことは後回しになってしまうケアマミ。

講座で体を動かしたり、自分自身について話すことが、
自分を大事にする時間になれたら。

今後も継続して開催していきたいと、 ソルウェイズさんと話しています。

 

また、自治体講座でも熱心な職員さんが、
津別町産後ケア夫婦講座を企画してくださって、 これが大反響をいただきました!

他地域での産後ケア夫婦講座の開催リクストもあります☆

(2017/12/2津別町社会教育事業・産後ケア夫婦講座)

私にとっての仕事は、
「誰とどんな関係性を築きながら、どこをめざして共に前に進んでいくか」が、
とても大切です。

そこに喜びと期待をもって向き合える人たちとの出会いと関係性の構築が、
はたらくことの醍醐味でもあります。

 

 

●専業主婦から子育てしながらはたらくことで
一番変化したのは「夫婦関係」●

 

私が産後ケアに出会って、それを仕事にするまでと、 これまでを長々書いてきました。

 

専業主婦からはたらく母にシフトチェンジするのに
一番苦労とやりがいがあったのは、
夫婦関係(パートナーシップ)の再構築でした。

 

「産後セルフケアインストラクターになって産後ケアを届ける」 というのは、
私には自分の意志と選択の末の行動。

 

でも、当時の夫にしたら、 それまで笑顔で夫・家族をサポートし、
子育てを楽しんでいるように見えた妻の私が、
「私もはたらきたい、そのために協力して欲しい」 と言い出すなんて、
きっと晴天の霹靂だったはずです。

インストラクター養成コース中も、 実際に産後ケアの仕事を開始してからも、
何度も家事・子育て・仕事のことで衝突し、
「協力し合えないなら、いっそ距離を置こうか?」
真剣にそう話し合ったこともあります。

 

 

数日間かけて話し合うことも、別の道を歩むことも考えて、
何枚もマインドマップを描いて、 それを見せながら話したこともあります。

苦労してやっと掴んだ産後ケアの仕事を簡単に手放すなんて、
できる訳がないから。

 

そうやって衝突し、相談し合っては、
協力してともに働いて暮らしていくために必要なことを
「私たち夫婦・家族の新しい仕組み」にして取り入れ、
変化し続けてきました。

 

これはずっと、更新案件。

 

これからだって子どもは成長し、夫婦のはたらき方や考えも、
変化し続けていくから。

 

 

20代半ばから専業主婦で、 なんの経験もキャリアもなかった私が、
30代に入ってから子育てしつつはたらいているのは…。

 

それは、妊娠・出産・産後をきっかけに
マドレボニータの産後ケアに出会ったこと。

そこで、それまで蓋をしてきたけれど、
いよいよ見て見ぬ振りができなくなった
「はたらくこと」「人と・社会とつながりたい」という 強い希望に、
ようやくしっかりと向き合うことができたからです。

 

そして、隣りで「仕事を通じて社会に何を還元できるか?」を
追い求め続ける夫と、
「お母さんとして以上に、 『一人の大人』として美しい生き方を見せたい」
と思わせてくれた息子たちがいてくれたからです。

 

周囲のさまざまな人たち、環境に感謝しながら、
これからも北海道に産後ケアを広めていきます。

長いながい連載、読んでくださってありがとうございました!

おしまい

  • この記事を書いた人

永野間かおり

認定NPO法人マドレボニータ産後セルフケアインストラクター。「産後のピンチを『チャンス』に変える」を軸に、産後ケア札幌教室と、産後セルフケアオンライン教室(全国)を開催。自治体/保健師・助産師など専門家向け講座の講師も務め、述べ受講者数は2,800名を超える。札幌在住、1978年生まれ、小中高生3男子の母。

-私がはたらく母になるまでの話。

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